2006年05月
2006年05月28日
貞山運河みやぎ政宗水紀行「春の陣」
閖上(ゆりあげ)のまちに突如現れた騎馬武者。5月21日(日)に行われた貞山運河みやぎ政宗水紀行「春の陣」に参加してくださった相馬野馬追の皆さんです。
ゆりあげ港朝市組合を中心に有志が集い、地域興しと貞山運河の活用を目指して取り組んだイベントです。
閖上海岸には昔からハマボウフウが咲き乱れていました。最近は乱獲にあい、すっかり影を潜めてしまいましたが、「名取ハマボウフウの会」の皆さんがわずかに残っていた株を宮城農業高校で増殖してもらい、閖上海岸に保護区を作って育てています。ここを見学したあと
いよいよ水紀行です。貞山運河は、阿武隈川から北上川にいたるまで、仙台湾岸に沿った全長50キロメートルの日本一の運河です。今日は岩沼の海浜緑地公園から閖上を経由して藤塚から井土浦へ、そして名取川に戻るコースです。
仙台空港のすぐ隣を通っています。
仙台空港のすぐ東側には東北大学のボート部艇庫があります。きっと新人達が練習しているのでしょう。
着陸態勢の日航機。
貞山堀沿いを走る騎馬武者たち。
貞山堀に沿ってサイクリングロードが走っています。そこを伴走する騎馬武者たち。
広浦から閖上のまちへと入っていきます。
横断幕が迎えてくれます。奥の橋は開運橋。大漁旗が掲げられています。昔は開運橋のたもとに造船所があり、漁船がここから下ろされ進水式が執り行われていました。
コースは若干違いますが、今日は多くの方々にこの水紀行を楽しんで頂いております。
船は閖上から一旦名取川を横切り、仙台市の藤塚へと進んでいきます。
ここから、隠れた野鳥の楽園井土浦に入り、再び名取川を上ります。閖上の堤防沿いに並ぶ黒松並木。俗に「あんどん松」とも呼ばれています。
閖上大橋の上流部にはマリンジェット愛好家たちのベースがあります。今日はここをお借りして下船。
見事な土手の黒松並木、あんどん松です。土手沿いのこの道は、その昔、五十集(いさば)と呼ばれた女性達が背負子を背負って仙台の街まで鮮魚の行商に通った道です。ということで、私の水紀行はここまで。皆さんはこのあと重要文化財でもある大曲の洞口家住宅でお昼を頂くということです。
このように閖上には豊かな自然と、伊達家ゆかりの歴史的遺産があります。これを今後とも生かして参りたいと願っております。
仁さん、大橋さん、お世話様でした。
isoo_sasaki at 02:47|この記事のURL
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樽水ダム周辺の清掃奉仕作業
毎年筍の季節に、地元の奉仕団体「名取ロータリークラブ」のメンバーで名取市の水源である樽水ダム湖周辺の清掃奉仕作業を行っています。今年は5月13日(土)にボーイスカウトの皆さんと一緒に行いました。毎年、とんでもないほどのゴミが出ますが、今年は思いの外少ない感じ。いつもですと、ダム湖周辺の待避所の回りに粗大ゴミなど大量の不法投棄がありますが、一昨年からクラブで待避所付近に不法投棄防止用のネットフェンスを張り巡らしてきました。その効果が出てきたようです。そもそも、どこであってもゴミを捨てるなどもってのほか。まして、水源地にゴミを捨てるなど、言語道断です。こうやって環境美化用のゴミ袋を下げ、タバコの吸い殻から飲料水の缶やら弁当箱から、
古タイヤや粗大ゴミなど拾い集めて歩くと、その不届きな行為に呆れてしまいます。諦めずに、地道に、みんなで街を綺麗にしていきましょう。誰もが自分のところは綺麗である方が気持ちいいのですから。
参加した皆さん、ありがとうございました。ご苦労さん会のビール(モチロン、サッポロ!)、これがまた実に旨かった。
isoo_sasaki at 01:40|この記事のURL
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がん闘病記 その16 元気の源、美人揃いの看護婦さん
H10.11.30(月)入院13日目
「H10.11.12(木).上咽頭がん4期の告知 同11.18(水)入院」
入院生活も2週間近くになると、結構落ち着いてきます。普通の生活からは一旦リタイアしているので時間はたっぷりあります。読みたくても「積ん読」だけだった本を大量に持ち込み、片っ端から読みました。治療に対する不安と、たっぷり余るほどの時間を貰った嬉しさとが交錯する不思議な感覚を楽しんでいました。
それと入院の楽しみは何と言ってもお見舞いのお客さんです。初めはどんな様子か、恐る恐る、といった感じで覗きに(失礼!)来てくれますが、いつもと変わらぬ生活ぶりを見て、病室はだんだんにサロンと化していきました。
ISDN回線の工事はまだですが、PHSカードでインターネットにも繋がりますし、メールも使えます。心配する家族には申し訳ないのですが、ちょっと豊かな気分の毎日です。いつも賑やかな病室を見て担当の先生までが「うちの医局より居心地良さそう。」と羨ましげです。
もう一つ嬉しいことは、看護婦さん。病棟の第一印象は建物も入院患者さんも暗くて陰々滅々としていましたが、
放射線科の看護婦さん達はみんな明るくて優しくて、そして個性豊かな美人揃いでした。いつも溌剌としていて、見てるだけで元気になりそう。ほかの何より治療効果が上がりそうです。
大学病院と言えば、官僚的で威圧的で杓子定規で紋切り型で、と固定的なイメージでしたが、前の耳鼻咽喉科といい、今度の放射線科といい、私の中での大学病院のイメージはすっかり一新してしまいました。素晴らしい病院です。
右側が婦長さん。本当に優しくて頼りがいのある婦長さんです。
ということで、第一回目の放射線治療を受けたあと、気分がいいので午後から街まで散歩に出かけ本屋さんをハシゴしていろいろ仕入れてきました。
「H10.11.12(木).上咽頭がん4期の告知 同11.18(水)入院」
入院生活も2週間近くになると、結構落ち着いてきます。普通の生活からは一旦リタイアしているので時間はたっぷりあります。読みたくても「積ん読」だけだった本を大量に持ち込み、片っ端から読みました。治療に対する不安と、たっぷり余るほどの時間を貰った嬉しさとが交錯する不思議な感覚を楽しんでいました。
それと入院の楽しみは何と言ってもお見舞いのお客さんです。初めはどんな様子か、恐る恐る、といった感じで覗きに(失礼!)来てくれますが、いつもと変わらぬ生活ぶりを見て、病室はだんだんにサロンと化していきました。
ISDN回線の工事はまだですが、PHSカードでインターネットにも繋がりますし、メールも使えます。心配する家族には申し訳ないのですが、ちょっと豊かな気分の毎日です。いつも賑やかな病室を見て担当の先生までが「うちの医局より居心地良さそう。」と羨ましげです。
もう一つ嬉しいことは、看護婦さん。病棟の第一印象は建物も入院患者さんも暗くて陰々滅々としていましたが、
ということで、第一回目の放射線治療を受けたあと、気分がいいので午後から街まで散歩に出かけ本屋さんをハシゴしていろいろ仕入れてきました。
2006年05月08日
2006名取市長杯スプリング・オープン・レガッタinゆりあげ
5月7日(日)閖上特設ヨットハーバーを会場に名取市ヨット協会主催による「2006名取市長杯スプリング・オープン・レガッタinゆりあげ」が開催されました。写真は開会式の様子。
西日本は大荒れの天気。閖上もお天気が心配されましたが、曇り空ながら何とか開催できました。艇長会議で今日のレースの打ち合わせです。
セーリング(ヨット)競技は海の上での競技。コースは海の上に線を描いて行います。ってことは出来ませんので、このようなブイをマークにしてこれでコースを作ります。コースのレイアウトは風しだい。風上に向かってコースを作ります。当然、次のレース前に風が変わればマークを打ち直してレースを行います。ですから、レース運営のスタッフは大変です。
スタートも旗と旗を結んだ線がスタートライン。左奥の船が海上本部艇。船の中央に掲げているオレンジ旗と画面中央手前のブイに立つオレンジ旗を結んだ線がスタートラインです。スタートの合図は本部船のフラッグ(旗)の上げ下げとフォーン(音響)で。この写真はスタート15秒前。
スタートするとマークを決められた順番に回ります。
私が乗る船の位置は第二マークで、コース全体の中間地点。追い風でこのマークに向かって来てマーク回航後に風を受ける向きを変えます。トップ艇(セールナンバー3717)が第二マーク目指して帆走してきます。
マーク回航です。
次々にマーク回航し第三マークに向かいます。
大人や学生だけではありません。小学生の乗るOP(オプティミスト・ディンギー)艇も一緒に参加しています。これがオープンレースのいいところ。艇の性能毎にヤードスティックナンバーというハンディキャップが与えられており、フィニッシュタイムにこの数字を掛けて順位を修正します。ですから、どんな船でも一緒にレースが出来ます。
レース後の閖上ヨットハーバー。すぐ隣が閖上ビーチです。それぞれ艤装を解き、艇を洗って整備します。
いつのレースやイベントでも一番頼りになるスタッフがジュニアヨットクラブのお母さんチーム。美人の肝っ玉かあさん揃いです。今日の昼食メニューは牛丼ならぬ牛皿に水餃子。2時間以上揺れる小さな船外機の和船に立ちっぱなしで写真を撮り続けていたのでさすがにくたびれました。そんなわけで、昼のご飯はことのほか美味でした。
身近な閖上沖の海で、自然を相手にこれだけダイナミックで素敵なスポーツが楽しめるのは名取にとっても大きな財産です。地元でこのセーリングに挑戦する方が増えていくことを願っております。
やってみようかな? とお考えの方は
宮城県セーリング連盟 事務局
荒川 昌巳 FAX 022-306-7867
E-mail:info_mysaf@mysaf.org
または、名取市長までご連絡を。
isoo_sasaki at 01:04|この記事のURL
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2006年05月07日
がん闘病記 その15 記念すべき第1回目の放射線治療
H10.11.30(月)入院13日目
「H10.11.12(木).上咽頭がん4期の告知 同11.18(水)入院」
11月27日、骨シンチの検査が終わると、来週の放射線治療まで待機。治療も何もないので日曜の夜までお休み(自宅待機)のため息子に迎えにきてもらいました。
とにかく、動けるうちにインターネット環境を揃えておくことが当面の仕事。駅前の電気屋さんでPHSでインターネット接続が出来るカードを手に入れ、回線の申し込みをしました。そのほかの雑用をこなして29日(日)の夜には真面目に病院に戻ってきました。
H10.11.30(月)入院13日目
今日が、がん闘病では記念すべき治療に取りかかった最初の日となります。よくがん治療の成果について「5年生存率」などという数字がありますが、今日11月30日がそのカウントの基準日です。
朝食を済ませると朗報が届きました。ISDN回線の件で病院事務局と交渉してくださっていたT先生から、回線引き込みの了解が出た、とのことです。
また、昨日買ってきたPHSカード電話もノートパソコンに挿入してパソコン通信のネットと交信出来たし、インターネットへも接続することが出来ました。これで、取りあえず外界との連絡はいつでも可能になり一安心。
昼前に呼び出しがあり、11時55分に第1回目の放射線治療。地下二階の放射線治療室にいくと放射線技師からベッドに横になるように指示されます。ベッドに上がると、先週作っておいたフェイスマスクで固定されます。これが結構きつい。もっともマスクが緩くて中で顔が動いたのでは意味がありません。
ただ、この間、挨拶もなければ何の説明もなく、ただ黙々と作業を進めていきます。彼らにとっては日常のごく当たり前の業務に過ぎないことなのでしょうが、患者にとっては何事も初めての体験です。これから何が起きるのか、放射線照射とはどんな治療なのか、痛いのか熱いのか、何も分かりません。分からないということはそれ自体不安で精神衛生上極めてよろしくないことです。このよろしくない状態で顔面をフェイスマスクでベッドに固定されている状態は恐怖です。なかなか味わえないシチュエーションであります。
今後の患者さんたちのために敢えて言っておきましょう。放射線技師の皆さん、どうか、患者が入ってきたら声を掛けてください。その一言で、ああ、この技師さんも人間なんだ。患者を治してくれる優しい人なんだ、と思うことができるでしょうから。
それに、治療の概要も説明していただけたらなおありがたい。「どの方向から何秒間照射しますよ。」それが痛いのか、熱いのか、外的には何の変化もないのか。それだけで、どんなに安心して治療を受けることが出来ることでしょうか。
結構鈍感な私ですら相当なプレッシャーを感じたくらいですので、気の弱い人のショックと言ったら口では言い表せないほどでしょう。せめて初めての患者にはこの程度の説明をしてあげるべきでしょう。
で、黙々と照射用の装置をセットし終わると、技師さんは入り口ドア横にあるフットスイッチを蹴ってドアを開け隣室に避難。放射線照射のアラームが鳴り顔の右側面から20秒。終わるとまた入ってきてセットし直し左側面から20秒。今度は正面から40秒。下に下げて首の正面から30秒。照射中のアラームの音がちょっと不気味。放射線の照射装置には鉛の遮へい板がついており、この形を整えて不要な部分への照射を遮るようになっているようです。この照射は主治医である放射線治療学の専門医がシミュレートして建てた治療計画に基づいて、その手順通りに行われます。
照射中は何の感覚もありません。がんの部位によって照射の方法はいろいろあるのでしょうが、今回の所要時間は約25分間。平静を装っているものの、身体は何ともないのですが打ちのめされたような感覚です。
ということで、記念すべき第一回目の放射線治療でした。
p.s.
この闘病記を読んで心配して下さる方がおられます。「入院なさっているのですか?」と。最初から読んでいたければ分かるのですが、この闘病記は7年前の話です。この画面右下の「がん闘病記」というハイパーリンクをクリックして頂ければ、このシリーズだけピックアップしてご覧頂けます。
「H10.11.12(木).上咽頭がん4期の告知 同11.18(水)入院」
11月27日、骨シンチの検査が終わると、来週の放射線治療まで待機。治療も何もないので日曜の夜までお休み(自宅待機)のため息子に迎えにきてもらいました。
とにかく、動けるうちにインターネット環境を揃えておくことが当面の仕事。駅前の電気屋さんでPHSでインターネット接続が出来るカードを手に入れ、回線の申し込みをしました。そのほかの雑用をこなして29日(日)の夜には真面目に病院に戻ってきました。
H10.11.30(月)入院13日目
今日が、がん闘病では記念すべき治療に取りかかった最初の日となります。よくがん治療の成果について「5年生存率」などという数字がありますが、今日11月30日がそのカウントの基準日です。
朝食を済ませると朗報が届きました。ISDN回線の件で病院事務局と交渉してくださっていたT先生から、回線引き込みの了解が出た、とのことです。
また、昨日買ってきたPHSカード電話もノートパソコンに挿入してパソコン通信のネットと交信出来たし、インターネットへも接続することが出来ました。これで、取りあえず外界との連絡はいつでも可能になり一安心。
ただ、この間、挨拶もなければ何の説明もなく、ただ黙々と作業を進めていきます。彼らにとっては日常のごく当たり前の業務に過ぎないことなのでしょうが、患者にとっては何事も初めての体験です。これから何が起きるのか、放射線照射とはどんな治療なのか、痛いのか熱いのか、何も分かりません。分からないということはそれ自体不安で精神衛生上極めてよろしくないことです。このよろしくない状態で顔面をフェイスマスクでベッドに固定されている状態は恐怖です。なかなか味わえないシチュエーションであります。
それに、治療の概要も説明していただけたらなおありがたい。「どの方向から何秒間照射しますよ。」それが痛いのか、熱いのか、外的には何の変化もないのか。それだけで、どんなに安心して治療を受けることが出来ることでしょうか。
結構鈍感な私ですら相当なプレッシャーを感じたくらいですので、気の弱い人のショックと言ったら口では言い表せないほどでしょう。せめて初めての患者にはこの程度の説明をしてあげるべきでしょう。
で、黙々と照射用の装置をセットし終わると、技師さんは入り口ドア横にあるフットスイッチを蹴ってドアを開け隣室に避難。放射線照射のアラームが鳴り顔の右側面から20秒。終わるとまた入ってきてセットし直し左側面から20秒。今度は正面から40秒。下に下げて首の正面から30秒。照射中のアラームの音がちょっと不気味。放射線の照射装置には鉛の遮へい板がついており、この形を整えて不要な部分への照射を遮るようになっているようです。この照射は主治医である放射線治療学の専門医がシミュレートして建てた治療計画に基づいて、その手順通りに行われます。
ということで、記念すべき第一回目の放射線治療でした。
p.s.
この闘病記を読んで心配して下さる方がおられます。「入院なさっているのですか?」と。最初から読んでいたければ分かるのですが、この闘病記は7年前の話です。この画面右下の「がん闘病記」というハイパーリンクをクリックして頂ければ、このシリーズだけピックアップしてご覧頂けます。
2006年05月06日
5月5日はサイクルフェスティバル
5月5日はこどもの日。そしてサイクルフェスティバル。
名取市サイクルスポーツセンターでは、春と秋にサイクルフェスティバルを開催しております。絶好の行楽日和、今日だけ無料で開放された会場で春のサイクルフェスティバルが開催されました。
これはおもしろ自転車。このように自転車は勿論のこと、
フリーマーケットやステージでのショーや演奏、これは宮城高専吹奏楽部の演奏です。
みんないい笑顔
ヨットの試乗会もありました。サイクルに隣接するオフシーズンの海浜プールが会場。順番待ちが出来る盛況でした。
事前講習会。「ティラー(舵棒)を握って、こうやって、」
いざ出艇
帆走中、、じつは人力走行中
お楽しみはなんたって抽選会
抽選発表を楽しみに待っている、この人!このように春の一日家族みんなで楽しめるイベントが展開されました。
運営にあたって頂いているナスパの皆さんの努力が実ってきています。スタッフの皆さん、ご協力いただいた皆さん。ありがとうございました。
isoo_sasaki at 01:15|この記事のURL
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2006年05月05日
ダイヤモンドシティに三越出店
溜まりにたまった話題は山ほどあります。書ききれないほど。
まずは、ダイヤモンドシティに三越出店の件。
ダイヤモンドシティでは2核1モールという店舗スタイルが確立されつつあり、仮称「仙台名取店」も同様の計画でした。ところが、2核の一方のジャスコは早々と発表されていましたが、もう一方が懸案となっておりました。
それが去る4月28日にプレス発表があり、正式に三越から出店表明がなされました。
三越さんの出店を心から歓迎申し上げます。
先に、今年11月オープン予定の立川・武蔵村山に出来るダイヤモンドシティに三越さんが出店を表明なされ、今後とも両者が提携していく方針も示されておりました。名取も一時は三越さんで決まり!と思われていましたが、なかなか発表になりませんで気をもんでおりました。
きっと三越さんにしては、これほどのスピードで店舗展開を進めるつもりはなかっただろうと思われます。老舗デパートとしてはしっかりと人材を育て、その人材を派遣して自信を持って店舗運営をしていくというリズムで動いているのだろうと思われます。それが、3ヶ月も置かずにさらに新規店舗、という展開に二の足を踏んでいただろうと察せられます。
一方、地元には藤崎デパートさんがあります。中央通り・一番町商店街の老舗専門店がどんどん撤退を余儀なくされるなか、仙台商人の心意気を今に伝えておられます。ここは、拠点の増床を計画中です。
企業の将来計画は冒険です。守るも攻めるも冒険です。私としては、名取のダイヤモンドシティに「地元仙台のデパートに挑戦して頂きたかった」という気持ちもありました。藤崎さんは仙台の中心地での生き残りに賭けたのでしょう。これはこれで選択です。
三越さんには企業として相当なリスクを承知で名取出店をご決断頂きました。このことに心からの敬意を表します。おかげさまでとても高いグレードの店舗となることが保証されました。
難しいことでしょうが、今後は地元との融和と協調に配慮頂きながら新しい名取づくりにもご参加頂けたら幸いです。
仙台空港アクセス鉄道も順調に工事が進んでおります。ダイヤモンドシティの他にも下増田地区に出来る「だてもん市場」などを含め、名取市の新しい顔となる臨空都市の姿が一段と鮮明になってまいりました。事業成功のためさらなる努力をしてまいりましょう。
まずは、ダイヤモンドシティに三越出店の件。
ダイヤモンドシティでは2核1モールという店舗スタイルが確立されつつあり、仮称「仙台名取店」も同様の計画でした。ところが、2核の一方のジャスコは早々と発表されていましたが、もう一方が懸案となっておりました。
それが去る4月28日にプレス発表があり、正式に三越から出店表明がなされました。
三越さんの出店を心から歓迎申し上げます。
先に、今年11月オープン予定の立川・武蔵村山に出来るダイヤモンドシティに三越さんが出店を表明なされ、今後とも両者が提携していく方針も示されておりました。名取も一時は三越さんで決まり!と思われていましたが、なかなか発表になりませんで気をもんでおりました。
きっと三越さんにしては、これほどのスピードで店舗展開を進めるつもりはなかっただろうと思われます。老舗デパートとしてはしっかりと人材を育て、その人材を派遣して自信を持って店舗運営をしていくというリズムで動いているのだろうと思われます。それが、3ヶ月も置かずにさらに新規店舗、という展開に二の足を踏んでいただろうと察せられます。
一方、地元には藤崎デパートさんがあります。中央通り・一番町商店街の老舗専門店がどんどん撤退を余儀なくされるなか、仙台商人の心意気を今に伝えておられます。ここは、拠点の増床を計画中です。
企業の将来計画は冒険です。守るも攻めるも冒険です。私としては、名取のダイヤモンドシティに「地元仙台のデパートに挑戦して頂きたかった」という気持ちもありました。藤崎さんは仙台の中心地での生き残りに賭けたのでしょう。これはこれで選択です。
三越さんには企業として相当なリスクを承知で名取出店をご決断頂きました。このことに心からの敬意を表します。おかげさまでとても高いグレードの店舗となることが保証されました。
難しいことでしょうが、今後は地元との融和と協調に配慮頂きながら新しい名取づくりにもご参加頂けたら幸いです。
仙台空港アクセス鉄道も順調に工事が進んでおります。ダイヤモンドシティの他にも下増田地区に出来る「だてもん市場」などを含め、名取市の新しい顔となる臨空都市の姿が一段と鮮明になってまいりました。事業成功のためさらなる努力をしてまいりましょう。
isoo_sasaki at 23:54|この記事のURL
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復帰宣言
しばらくぶりの更新です。
お陰さまでだいぶ回復してきました。
どうもオーストラリアで風邪を貰ってきたようです。
咳はでるやら喉が痛むは、鼻水がとまらないわ、大変でした。
しかも、歓送迎会シーズン。そのうえ、総会シーズン。
組織の数だけ総会があります。
何も市長までご案内頂かなくとも、と思っていても呼ぶ方は「何としてでもお越しを」ということになるようです。お声掛け頂くうちが華というもの。ということで、日程の許す限りお伺いすることになります。
時には泊まりもあります。
秋保の宿に着くと「お帰りなさいませ」。ごく普通の宿のご挨拶。
ところが、これに「今日もまたお泊まりですか?」とくる。
同じ宿に毎日通えばご苦労さんの一つも言いたくなるのでしょう。
そんなこんなで、ほとんど家にいない毎日でした。
やっとパソコンの前に座れるようになりました。
これからもよろしくお付き合いのほどを。
お陰さまでだいぶ回復してきました。
どうもオーストラリアで風邪を貰ってきたようです。
咳はでるやら喉が痛むは、鼻水がとまらないわ、大変でした。
しかも、歓送迎会シーズン。そのうえ、総会シーズン。
組織の数だけ総会があります。
何も市長までご案内頂かなくとも、と思っていても呼ぶ方は「何としてでもお越しを」ということになるようです。お声掛け頂くうちが華というもの。ということで、日程の許す限りお伺いすることになります。
時には泊まりもあります。
秋保の宿に着くと「お帰りなさいませ」。ごく普通の宿のご挨拶。
ところが、これに「今日もまたお泊まりですか?」とくる。
同じ宿に毎日通えばご苦労さんの一つも言いたくなるのでしょう。
そんなこんなで、ほとんど家にいない毎日でした。
やっとパソコンの前に座れるようになりました。
これからもよろしくお付き合いのほどを。
isoo_sasaki at 23:10|この記事のURL
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