がん闘病記

2006年10月23日

がん闘病記 その17 オプティミスト

H10.12.1(火)入院14日目

念のために
 これは今から8年前、平成10年のことです。

「H10.11.12(木).上咽頭がん4期の告知 同11.18(水)入院」

朝食を済ますと、病院での初めての入浴です。朝一番なので広い浴場を一人で独占。
風呂から上がると、主治医N先生の回診。実は、昨日の夕方から顎の上の方、耳の下の部分を触ると少し痛みを感じだしていました。先生に聞くと、「唾液腺は照射の数時間後にはダメージが来る。」という。「それは正常というか、仕方がないことだ。」とのこと。これから放射線治療の影響がどこまで出てくるのか、少し不安を感じます。
大抵の痛みは、ここまで、という限度が分かっていれば耐えられます。ただ、その痛みがどこまで酷くなるのか分からないと怖いのです。

午後2時から放射線治療の二日目。照射は昨日とまったく同じ手順で同じように。

夕方になると顎の裏側の唾液腺が腫れ、押すと痛みが走りますが、口の渇きはまだ大丈夫のようです。
見舞いに来ていた家族が帰ったあと、近くの新坂通幼稚園まで散歩。そこには以前から大変お世話になっている大先輩の園長先生がいらっしゃる。園に着くと園長先生は今まさに外出しようとしているところ。私のところに見舞いに来てくださるところだという。そんなことで、一緒に病院まで戻ることになりました。

新坂通幼稚園園長先生お花や、水濾過用の竹炭、その他身体に効きそうなサプリメントをいろいろ頂く。いつも息子のように心配して下さってる先生の優しさがとっても嬉しい。

放射線治療も始まり、一人前の患者らしくなってきました。インターネット環境はまだPHSでやっと繋がる状態ですが、いつもの友人たちとの糸も繋がっており、毎日引きも切らずやって来てくれる見舞客に飽きることもなく過ごす毎日。その上、主治医の先生はネット仲間の元同僚ということもあって、病室を訪れるたびにコンピューター談義に花が咲きます。

がんがこのまま進行して死に至るのか、治療が功を奏して治るのか、などという、普通なら考えそうな不安はまったくといっていいほどありませんでした。

オプティミスト・ディンギーヨットの世界で、世界中の子ども達が乗っている艇があります。『オプティミスト・ディンギー』という艇種で意味は楽天家。きっと私は生来のオプティミスト(Optimist)なんだと思う今日この頃です。

isoo_sasaki at 01:33|この記事のURLComments(8)

2006年05月28日

がん闘病記 その16 元気の源、美人揃いの看護婦さん

H10.11.30(月)入院13日目

「H10.11.12(木).上咽頭がん4期の告知 同11.18(水)入院」

入院生活も2週間近くになると、結構落ち着いてきます。普通の生活からは一旦リタイアしているので時間はたっぷりあります。読みたくても「積ん読」だけだった本を大量に持ち込み、片っ端から読みました。治療に対する不安と、たっぷり余るほどの時間を貰った嬉しさとが交錯する不思議な感覚を楽しんでいました。
それと入院の楽しみは何と言ってもお見舞いのお客さんです。初めはどんな様子か、恐る恐る、といった感じで覗きに(失礼!)来てくれますが、いつもと変わらぬ生活ぶりを見て、病室はだんだんにサロンと化していきました。
ISDN回線の工事はまだですが、PHSカードでインターネットにも繋がりますし、メールも使えます。心配する家族には申し訳ないのですが、ちょっと豊かな気分の毎日です。いつも賑やかな病室を見て担当の先生までが「うちの医局より居心地良さそう。」と羨ましげです。
もう一つ嬉しいことは、看護婦さん。病棟の第一印象は建物も入院患者さんも暗くて陰々滅々としていましたが、
美人でお気に入りのK看護婦さん放射線科の看護婦さん達はみんな明るくて優しくて、そして個性豊かな美人揃いでした。いつも溌剌としていて、見てるだけで元気になりそう。ほかの何より治療効果が上がりそうです。


C看護婦さん大学病院と言えば、官僚的で威圧的で杓子定規で紋切り型で、と固定的なイメージでしたが、前の耳鼻咽喉科といい、今度の放射線科といい、私の中での大学病院のイメージはすっかり一新してしまいました。素晴らしい病院です。


婦長さん右側が婦長さん。本当に優しくて頼りがいのある婦長さんです。

ということで、第一回目の放射線治療を受けたあと、気分がいいので午後から街まで散歩に出かけ本屋さんをハシゴしていろいろ仕入れてきました。

isoo_sasaki at 00:42|この記事のURLComments(1)

2006年05月07日

がん闘病記 その15 記念すべき第1回目の放射線治療

H10.11.30(月)入院13日目

「H10.11.12(木).上咽頭がん4期の告知 同11.18(水)入院」

11月27日、骨シンチの検査が終わると、来週の放射線治療まで待機。治療も何もないので日曜の夜までお休み(自宅待機)のため息子に迎えにきてもらいました。
とにかく、動けるうちにインターネット環境を揃えておくことが当面の仕事。駅前の電気屋さんでPHSでインターネット接続が出来るカードを手に入れ、回線の申し込みをしました。そのほかの雑用をこなして29日(日)の夜には真面目に病院に戻ってきました。

H10.11.30(月)入院13日目
今日が、がん闘病では記念すべき治療に取りかかった最初の日となります。よくがん治療の成果について「5年生存率」などという数字がありますが、今日11月30日がそのカウントの基準日です。
朝食を済ませると朗報が届きました。ISDN回線の件で病院事務局と交渉してくださっていたT先生から、回線引き込みの了解が出た、とのことです。
また、昨日買ってきたPHSカード電話もノートパソコンに挿入してパソコン通信のネットと交信出来たし、インターネットへも接続することが出来ました。これで、取りあえず外界との連絡はいつでも可能になり一安心。

放射線治療装置昼前に呼び出しがあり、11時55分に第1回目の放射線治療。地下二階の放射線治療室にいくと放射線技師からベッドに横になるように指示されます。ベッドに上がると、先週作っておいたフェイスマスクで固定されます。これが結構きつい。もっともマスクが緩くて中で顔が動いたのでは意味がありません。
ただ、この間、挨拶もなければ何の説明もなく、ただ黙々と作業を進めていきます。彼らにとっては日常のごく当たり前の業務に過ぎないことなのでしょうが、患者にとっては何事も初めての体験です。これから何が起きるのか、放射線照射とはどんな治療なのか、痛いのか熱いのか、何も分かりません。分からないということはそれ自体不安で精神衛生上極めてよろしくないことです。このよろしくない状態で顔面をフェイスマスクでベッドに固定されている状態は恐怖です。なかなか味わえないシチュエーションであります。

放射線治療装置2今後の患者さんたちのために敢えて言っておきましょう。放射線技師の皆さん、どうか、患者が入ってきたら声を掛けてください。その一言で、ああ、この技師さんも人間なんだ。患者を治してくれる優しい人なんだ、と思うことができるでしょうから。
それに、治療の概要も説明していただけたらなおありがたい。「どの方向から何秒間照射しますよ。」それが痛いのか、熱いのか、外的には何の変化もないのか。それだけで、どんなに安心して治療を受けることが出来ることでしょうか。

結構鈍感な私ですら相当なプレッシャーを感じたくらいですので、気の弱い人のショックと言ったら口では言い表せないほどでしょう。せめて初めての患者にはこの程度の説明をしてあげるべきでしょう。

で、黙々と照射用の装置をセットし終わると、技師さんは入り口ドア横にあるフットスイッチを蹴ってドアを開け隣室に避難。放射線照射のアラームが鳴り顔の右側面から20秒。終わるとまた入ってきてセットし直し左側面から20秒。今度は正面から40秒。下に下げて首の正面から30秒。照射中のアラームの音がちょっと不気味。放射線の照射装置には鉛の遮へい板がついており、この形を整えて不要な部分への照射を遮るようになっているようです。この照射は主治医である放射線治療学の専門医がシミュレートして建てた治療計画に基づいて、その手順通りに行われます。

治療開始当時の姿照射中は何の感覚もありません。がんの部位によって照射の方法はいろいろあるのでしょうが、今回の所要時間は約25分間。平静を装っているものの、身体は何ともないのですが打ちのめされたような感覚です。

ということで、記念すべき第一回目の放射線治療でした。


p.s.
 この闘病記を読んで心配して下さる方がおられます。「入院なさっているのですか?」と。最初から読んでいたければ分かるのですが、この闘病記は7年前の話です。この画面右下の「がん闘病記」というハイパーリンクをクリックして頂ければ、このシリーズだけピックアップしてご覧頂けます。


isoo_sasaki at 02:15|この記事のURLComments(2)

2006年04月17日

がん闘病記 その14 クオリティー・オブ・ライフ

放射線科の病棟に引っ越して感じたこと。まず暗い。廊下を歩いていてもすれ違う入院患者さんたちはみんな下を向いて鬱々としています。異様なほど雰囲気が暗い。もっとも、建物も年季が入っていてそれ自体暗い。加えて「なんでこんなに暗いの?」と聞いて回りたくなるほどみんな暗い。
治療が始まれば私もこうなるのか。それほど酷いのか。と、ちょっとめげそうになります。

最近になって病院運営にもQOL(クオリティー・オブ・ライフ)が意識されるようになってきました。これまでの治療効果重視の運営から、より患者の立場に立った治療方法が検討されるようになってきております。しかし、まだまだ道ははるか彼方です。
私は、自分の入院生活をなるべく普段の生活に近い形で過ごしたいと考えました。出歩ける内はなるべく外に出て仕事をしたいし、パソコンとインターネット環境さえ整えれば、あまり不自由なく外部との交流が図られます。
しかし、病院ではそうは考えておりません。医者や看護婦さんは患者に対し、言うことを素直に聞いて治療にだけ専念するように要求してきます。
中には、極めて少数ではありますが、好意的に、臨機応変に対応して下さる方もおられます。実にありがたい。こういう方と出会うと、元気が湧くし、病気と闘おう!という勇気が湧いてきます。

で、放射線科の病室ですが、ちょっと贅沢をして個室にしてもらいました。ところがこれがとんでもない。まず、個室ながら風呂もなければシャワーもない。驚くことにトイレすらない。申し訳程度にお湯を沸かせるだけの小さな台所とちっちゃな冷蔵庫。それに二人が向かい合って座るだけのぼろぼろの応接セット。それにピンク電話。
これで何と、1日1万円に消費税。
とんでもない経営感覚です。今どき、新築のホテルでも、6、7千円で泊まれます。
残念ながらコストバランスのいい個室がないため、不満ながらここに決めざるを得ませんでした。当然ながら、「患者の声」に思いっきり苦言を並べ立てておきました。

もう一つの問題はインターネット環境。いろいろ手を尽くして病院事務局に掛け合い、ISDN回線(当時はADSLや光はまで普及していませんでした)を入れてもらうことが出来ました。たぶん、普通に掛け合ったのでは無理だったでしょう。これまた、患者にとっては大事な生命線です。応援して頂いた皆さんに感謝です。

外部とどうやって情報を繋ぐか。中には電話にかじり付き、毎日指示を出しながら入院生活を続けている会社経営者もおられます。病院にとっては治療の邪魔でしかない外部との接触ですが、患者にとっては闘病中といえども生活がかかった大事な毎日です。まして、インターネットから病と闘うための貴重な情報を得ている患者さんもおられます。

当時、大学病院では新西病棟を新築中でした。そこで、患者の声を聞く提案箱に各ベットサイドにブロードバンドの端末を設備するよう書いてみました。新築工事中にダミーの配管さえしておけばあとでいかようにも使えます。しかし、残念ながら不採用でした。
今どき、ホテルでさえインターネット環境が選択基準の一つになっています。新たに病院建設を考えておられる事業者の皆さんは、患者の立場に立ち将来を見据えて計画を立てていただきたいと願っております。

病院関係者の皆さんには、患者にとって「自分はまだ社会と繋がっている。」この感覚がどれほど重要なことか、是非理解して頂きたいと思っています。
isoo_sasaki at 13:00|この記事のURLComments(0)

がん闘病記 その13 骨シンチとフェイスマスク

H10.11.24(火)入院7日目

「H10.11.12(木).上咽頭がん4期の告知 同11.18(水)入院」

骨シンチ案内板がんの骨への転移を調べる検査が「骨シンチ」。
骨シンチとは、アイソトープ(弱い放射能を持つ同位元素)が骨転移のある部位に集積(取り込まれる)するという性質を使い、事前に放射性同位元素を体内に注射し、一定時間経過後にレントゲン写真で観察する検査方法です。
被爆量が少ない短い半減期の放射線同位元素を使い、通常ですと注射後3時間程度でレントゲンを撮ります。

今回は、入院7日目の24日に注射を打ち、3日後の27日に検査です。
RI(核医学)検査の施設は核医学管理区域内にあります。
放射線用ごみ箱注射のあとを押さえる脱脂綿(ではない特殊な紙でしたが)用のゴミ箱も管理されています。
放射線同位元素の注射は、管理上ちょっと物々しいだけで、普通の静脈注射と変わりありません。注射後とたんにパワーアップする、なんてこともありません。

11月26日(木)入院9日目に、耳鼻科で例の高橋女医に最後の診察(その後細いファイバースコープを用意して貰いました)を受け、原病巣は扁桃腺近くまで進行しているとの状況を聞いた後、10時頃1階の放射線科に転科しました。

最初の仕事は、入院が長引くことを考え、何とかインターネット環境を整えること。幸い個室なのでピンク電話が置いてあります。この電話への回線が4本線。電話で使っているのは2本だけ。2本空いてます。これは使えそうです。
ありがたいことに、パソコン通信時代からの友人の医師が、放射線科の担当医に依頼をしてくれていて「話は既に聞いてます」とのこと。とりあえずはノートパソコン用にPHSカードを用意することに。

フェイスマスク午後は放射線治療に備え、治療計画室でフェイスマスク作り。放射線を正確に患部に照射するために頭部を固定するフェイスマスクを作り、3次元グラフィックス画面で照射角度をシミュレートし、照射箇所にマーキングをしていきます。マスクの部分はともかく、首から下の部分は直接胸にマジックでターゲットを描き込まれてしまいました。ほとんどまな板の鯉状態です。他の器官への影響をなるべく抑えながら、どれだけ原病巣を叩けるか。この作業が放射線科医の腕の見せどころです。
きっと、3Dグラフィックスのシューティングゲームなどに現を抜かしている子ども達を鍛えれば素晴らしい放射線医が生まれることでしょう。

骨シンチ27日(金)骨シンチ測定。3日前に体内に注射したガリウムを測定器で受けて映像化。1回5分。8枚。所用時間約1時間ほどで検査終了。

isoo_sasaki at 00:47|この記事のURLComments(0)

2006年03月24日

がん闘病記 その12 お休み

晩秋の定禅寺通りH10.11.20(金)入院3日目

「H10.11.12(木).上咽頭がん4期の告知 同11.18(水)入院」

入院3日目ともなるとだいぶ落ち着いてくる。朝6時の検温のアナウンスも眠っていて気づかないほど。看護婦さんが回ってきてはじめてやっと目覚める。
検温、脈拍、採血、体重測定、で、朝食。
午前中に外出許可をとって、9時半に病院を出る。普段から歩くのが大好き。病院から仙台の繁華街・一番町にある丸善まで約2キロほど、秋の日差しを浴びながらの散歩。定禅寺通りのケヤキも半分葉を落としている。
ドアノー写真集まだ人出のない一番町通りの本屋さんを冷やかしながら歩く。大好きな「ドアノー」の写真集を見つける。パリの町を愛し、パリの人々に愛された写真家ドアノー。


一番町で帰りに、私立幼稚園連合会の事務所に寄って担当している広報の校正と、退職金給付事業のシミュレーションシステムの手直しをする。
昼過ぎ病院に戻ると、お見舞いのお客さんが次から次へと。

放射線科への転科まで、しばらく時間があるので、外泊許可をもらって一時帰宅。結構仕事がたまっている。久しぶりに近況報告のため電話した友人が、私以上に辛い状態にいた。酷い鬱病と脊髄の痛みで最悪の状態。ほっておけない。人一倍の頑張りやで、以前には耳から出血しているにもかかわらず、病院にも行かずに仕事を継続していたほど。仕事上のプレッシャーと、ハイテク化の波に付いていかなければならないプレッシャーから最悪の状態に陥っている。
結局、月曜の午後まで自宅で過ごし帰院する。

isoo_sasaki at 01:35|この記事のURLComments(0)

2006年03月19日

がん闘病記 その11 治療方針

悩む洲崎先生H10.11.19(木)入院二日目

「H10.11.12(木).上咽頭がん4期の告知 同11.18(水)入院」

西公園までの散歩から戻ると、担当の洲崎先生が放射線科とのカンファレンスの結果について説明に来てくださる。担当を実際の治療に当たる放射線科に移すことになり、24日1階の病室に転室することになった。化学療法では、現在一番いい成績をあげている「シスプラチン」と「5FU」を併用する予定だが、白血球の減少と腎機能の低下は避けられない。耳鼻科でも抗がん剤での治療を行うが、放射線科(治療学)の方が治療実績があるので、そちらで治療を受けた方がいいだろう、ということになった。
治療には、相当時間が掛かるだろう。

不安解消のために少し質問をさせていただいた。

Q 抗がん剤の種類によって患者との相性のことをよく聞くが?
A 一番の問題は効かないこと。血液の状態と腎機能を注意深く見ながら進めるので、時間が掛かるだろう。

Q 造血作用は回復するのか?
A 回復する。しかし、使用中に生命に関わるようなことも起こりうる。詳しくは放射線科で相談するといい。疑問があったら箇条書きにしておいて質問するといい。

Q 腎機能の低下を押さえる薬はあるのか?
A それは、ない。

Q 腎機能の低下はどの程度になるのか?
A 最悪の場合は人工透析。そうならないように機能障害の程度を見ながら進めていく。事前に大量に水を入れて、どんどん腎臓に負荷を掛けていく。それで、悪くなりかけたら治療をストップする。
抗がん剤は、最初に血液に影響の出る薬は使わない。どちらかというと腎臓がやられる薬を使う。その方がリカバリーしやすいので。
世界的なデーターを見ても、「シスプラチン」と「5FU」に電気(放射線)を掛けるという組み合わせで治療する方法が一番有効だ。我々が普段扱っているがんよりは佐々木さんのケースの方が成績がいい。普段のケースでは5年生存率は1割程度。佐々木さんのようなケースで6割をちょっと切るぐらいで、これでもだいぶ良い成績だ。
ただ、これは、最後まで治療を続けられた場合のことで、途中で体が付いていけなくなり治療を断念せざるを得ない場合もある。そうなると、あとは自然に任せる他はない。

Q 食べ物と運動は?
A 食べ物は何でもいいです。運動は、治療が始まると怠くなって動きたくなくなってしまいます。ですから、動けるうちに動いておいた方がいいです。

Q 脳に近い場所だが放射線の照射による影響は?
A それより、(がんが)脳に入る方が怖い。放射線の脳に対する影響がないわけではない。なるべく当たらないように掛ける。照射の場所を決めて、脊髄などに掛からないように掛ける。ただ、首の骨の直前までいってますので、ぎりぎり掛けなくてはならない可能性はある。

Q 他への転移のチェックは?
A 定期的に写真を撮って見ることになる。抗がん剤を使うということは、全身に投与されるということで、小さく飛ぶ(転移する)ことを押さえる効果はある。

Q 効かない場合は?
A それは、その時はどうしようもない。今の医学では。全身に転移した場合には手の施しようがない。その覚悟は必要だが、がんの中では比較的効きやすいがんだ。

Q 扁平上皮がんが転移すると、それも同じ扁平上皮がんなのか?
A 佐々木さんの場合は、扁平上皮がんに近いがそうではない。上咽頭がんと区分けしている。

Q 放射線科では、耳鼻咽喉科のような分野もカバーしているのか?
A 治療と密接な関係があるのでなんでも診る。ファイバーで診察したり。

概ね、こんなやりとりをしておぼろげながら状況を把握していく。
大学病院では、分かること、分からないことを含め、何でも応えてくださる。これが実にありがたい。治療に当たる医師にとっては日常のことであっても、患者にとっては全てが初めての体験。分からないことだらけだ。これに実に丁寧に答えて下さる。
患者にとっては、自分の病状と治療方法やリスク、これらをしっかり把握することが病気と闘うエネルギーになる。

isoo_sasaki at 19:44|この記事のURLComments(0)

2006年03月09日

がん闘病記 その10 西公園散歩

「H10.11.12(木).上咽頭がん4期の告知 同11.18(水)入院」

広瀬川事態は深刻ですが、治療はまだ始まりません。病室は、大学病院の一番奥の古い西病棟、それも北に面した室で、目の前は歯学部の建物や実験用に飼われている犬舎などが並んでいます。
午前中に病室のフロアにある治療室で診察を受ける。深刻な顔をした医学生二人が診察に立ち会う。やり取りを聞くともなく聞いていると、どうも留年の危機にあるらしい。「いいでしょうか?」と首に転移したリンパ腺の触診をさせて欲しいと言う。医者は修理屋と一緒で五感で故障箇所を感じ取るセンスがないと治せない。将来の医学に役立つならと「どうぞ。」と承諾する。
代わるがわるおっかなびっくりに触っているので、「転移は何ヶ所?」と聞いてあげると、とたんにしっかりと確かめるように探り始める。こうやって、医学生たちは育っていくのだろう。留年しないで頑張って欲しい。

西公園身体的ダメージは皆無に等しい状態だが、治療方針が決まるまでは落ち着かない。
夕方近く、病院に戻ってきた妻と二人で近くの西公園まで散歩に出る。


加知枝広瀬川のほとりにある西公園は晩秋の彩りで迎えてくれる。
目に映る一つ一つの景色が「忘れないで」とでも言ってるかのように胸にしみる。

二人でだまって歩く。

紅葉そして、ゆっくりと息を吸う。大好きな街の空気を。

もしかしたら、戻ってこれないかもしれない、この空気を。


夕暮れ
isoo_sasaki at 00:53|この記事のURLComments(4)

2006年03月07日

がん闘病記 その9 診断

「H10.11.12(木).上咽頭がん4期の告知 同11.18(水)入院」

上咽頭がん、と聞いても分かる人はなかなかいません。当時の年間罹患者数は全国で500人ほど。あまり、一般的ながんではありません。

気圧が下がって耳が痛いときなど、鼻をつまんで思いっきり息を出すと鼓膜がツンと張りバランスが戻ります。これで鼻と耳が通じているのが分かります。上咽頭がんは、この鼻の奥の方、耳管のあたりに出来たがんです。もっと奥に入ると、喉が見えてきます。
がんのタイプで言うと、鼻の粘膜の表面に出来た、扁平上皮がんに近いものです。
比較的治りやすいがんですが、転移もしやすいと言われております。

当初に作った入院診療計画書では、

病名 > 上咽頭腫瘍、頸部転移
症状 > 鼻閉、膿性鼻汁、滲出性中耳炎、鼻出血(これはきっと高橋女医のせいに違いない。)
治療計画 > 放射線+化学療法+頸部腫瘍摘出手術
検査内容 > Ga、骨シンチ
手術内容 > 頸部郭清術
推定される入院期間 > 4ヶ月ほど

がんは手術で取れれば一番早いわけです。しかし、上咽頭がんは頭蓋骨の真ん中にあります。頭蓋骨を半分に割って手術するわけにはいきません。そこで、打てる手は、放射線の照射と化学療法(抗がん剤)しかありません。転移したリンパ腺は、あとで残っていればきれいに手術で取ってしまおう、というのが今回の治療計画です。

夕食後に主治医の洲崎先生と高橋女医が病室に来てくださいました。
「先ほど撮った写真をみると、がんは相当に進行しており、上咽頭から中咽頭にかけて広がっている。かなり、厳しい治療が必要だ。放射線科と耳鼻科で協力して、一番いい治療をしたいと考えている。
抗がん剤での治療は血液の状態を見ながら注意深く進めるが、抗がん剤で死亡する例もある。副作用として、造血作用や腎機能に影響が出る場合がある。
抗がん剤はいろいろあるが、今回は『シスプラチン』を使いたい。それと『5FU』とを併用する予定だ。
これは造血作用にはほとんど影響が出ないが、腎機能に障害が出ることがある。
明日(19日)放射線科とのカンファレンスがあるので、そこで佐々木さんのケースを出して、治療計画の検討をして貰うことにしたい。」とのことでした。

isoo_sasaki at 22:47|この記事のURLComments(0)

2006年02月27日

がん闘病記 その8 入院

「H10.11.12(木).上咽頭がん4期の告知」

11月18日(水)いよいよ入院の日。朝に仕事の関係で関連する各部署に連絡を取り、今後のことについて依頼を済ませる。
10時に大学病院で入院手続き。最初に血液検査と尿検査。その後、院内の食堂で遅い朝食をとる。大学病院の建物は相当に年期が入っている。その建物が持つ陰鬱さと、頭にこびり付いて離れない、その昔知人が入院していた頃の看護婦さんら職員の態度の横柄さが思い出され、ちょっと憂鬱な気分に襲われる。

入院当日敷地の奥にある古い西病棟の耳鼻科のフロア767号室に入院が決まりました。
担当の看護婦(当時はまだ看護婦さんでした)さんが入院に関する説明をしてくれます。
これが、素晴らしい美人さん。そして、何とも言えぬ気だての良さと優しさが表情・仕草ににじみ出てくる。小鳥がさえずるように、優しく丁寧に入院中の諸々について説明してくれます。ただ、何を説明してくれたのか、今は全く記憶にありません。ただただ、その可愛らしさに見とれていました。「入院生活もまんざら悪くもないもんだ」つくづくそう思いました。本当に出会いというのは大切です。たったこれだけで、大学病院に対するイメージがすっかり変わってしまいました。

その後、洲崎グループの一人、女医の高橋千穂さんが診察してくれました。ファイバースコープで患部の写真撮影。この耳鼻科で使っているファイバースコープ、最近は私もベテランになり詳しくなりましたが、この時はまだ新米でした。私の鼻孔は一般平均よりも相当に狭い。ファーバーがスムーズに入っていきません。このファイバーには太さがいろいろあり、一番細いものですと難なく入ります。ただ、この高橋女医が持ってきたのは普通サイズ。キシロカインという局部麻酔のスプレーはかけたものの、なかなか入らない。どうしても教授の下へ画像を届けなくてはと、無理矢理ねじ込む。それを涙を流しながら堪える。相手が若い女医さんなもので、何とかしてあげたいと思うが、こちらはじっと堪えるだけ。やがて、鼻孔は血だらけになってしまいました。「わー、どうしよう。たいへーん。教授の患者さんをこんなにしてしまって。私、怒られてしまう。どうしよう。」気の毒なほど慌てている。ま、写真は撮ったし、しょうがない。
「大丈夫、心配しないで」
ということで、どっちが患者かわからないような入院生活が始まりました。

isoo_sasaki at 00:18|この記事のURLComments(0)